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​ぱれった・けやきの日々
○なんでもありの弊害

 いいことばかり書いていますが、スタイルが定着してきたのは数年たってからの話です。「ぱれった・けやき」はスタッフの定着率が悪いのです。移転して約2年の間に3人のスタッフがやめていきました。原因は「なんでもあり」だったような気がします。「なんでもあり」は聞こえがいいですが、実はとてつもなく曖昧な概念です。言い換えれば「なんでもなし」。

 発想としてはすばらしいと思っていましたが、日常的な活動において、「ここはなんでもありだから、なんでもいい」となってしまうのは、やはりつらいことです。そうなるとどんな活動も結局は「なんでもなし」になっていきます。スタッフも「自分たちは何をすればいいの?」ととらえたようです。

 しかし敢えて曖昧な『なんでもあり』はつらぬこうとしました。現場的にいえば「お菓子を作る、陶芸をする。でもやりかたはひとそれぞれ。できあがりもひとそれぞれ。」「共同作業所に来る。作業して過ごす人もいる。眠って過ごす人もいる。それも人それぞれ。」「私がいる。あなたがいる。顔も違うし考え方も違う。家で私が食事してるときにあなたも食事しているとは限らない。」ということだと思います。そのうえで、安心して過ごせる、本音で話せる、次のステップを考えることができる、になっていくと思っていました。

 そしてそして!障害者とか健常者などの区分とは関係なく、ここにかかわる人たちが、自分らしくあることができるように「ぱれった・けやき」にかかわっていってほしいと。

○地域の中にあるということを意識して

 地域とのつながりを大切にしよう、という考えも随所にいかしているつもりです。ひとつは食材や作業材料の買い物。必ず近隣の個人商店で購入し、その際には「ぱれった・けやき」の存在を理解してもらういい機会にしました。月1回発行の新聞を配ったり、イスの材料である牛乳パックをもらったり、それらの自主製品を買ってもらったり。

 また夜の部として「英会話教室」「陶芸教室」を行うことにして、-般の方々にもこの場所に来てもらうための実践を始めました。それぞれ週1回ずつ行っていますが、ビラをまいたり、ポスターを貼ったりして、本当に少しずつではありますが近隣に浸透したと感じます。周囲の人々は、以前焼き肉屋だったこの場所に興味津々で、通りすがりに中をのぞく人が結構多かったです。

 もちろんこの夜の部、障害者とか健常者の区別は付けません。来たい人に来てもらってこの場で有意義に過ごしてもらうこと、これが目的なのです。昼聞の活動に地域の方が参加することはまれですが、昼と夜の違いはあれ、「ぱれった・けやき」という場をみんなで共有していることには違いないと思っていました。

 地域精神保健福祉活動という難しい枠組みでとらえれば、わたしたちのやり方は実に遠回りなやり方かもしれません。しかしこの「ぱれった・けやき」自体、この移転に際して大がかりな説明会をしたわけでも何でもありません。地域の中に、ごく自然にわいて出たように息づき始めたのが「ぱれった・けやき」です。それが徐々に周囲に認知されてきているのです。「当たり前に暮らすために、集う場所を自然に求めた」。今回の移転に関しては、この部分がいちばん重要だったともいえます。
(きいたところによると、近所の人たちは「怪しげな団体が入り込んできた」と思っていたようです・・・後にゆうゆう舎の役員になってもらった町内会副会長さんの話)

 また、昼の部と夜の部の活動という一見するとまるで別なもののようにとらえがちですが、時間差はあっても、この揚所を「楽しめる場所」として共有していくこと。さらに、今は結構大きい昼と夜のすき間を、うまく埋める仕組みになれば、いずれ精神障害ということに対しての理解が生まれてくる可能性もある!と考えてワクワクしていました。

○私の転機(天気?)

 その間の2年ほど私はワクワクのし通しでした。

 私自身は本来、精神科病院のソーシャルワーカーであり、病院の業務が中心の人間です。でもけやきの移転あたりからさまざまに発想するようになった感じがします。

 もちろん病院の業務として患者さんの話を聞いたり、困ったことがあれば一緒に考えたり、逆に教わったりという、個別の関わりも私を変えてくれるきっかけになっています。共同作業所移転までの10年間はその関わりの中で「自分は何をする人?」のような問いかけをし続けてきたのも事実です。このような10年間の蓄積が作業所移転ではじけてしまったようです。たびたび登場する「なんでもあり」はその結果であり、この根っこにあるものが、感覚的でわかりにくいのですが「におい」です。

 移転に際して、物件を提供してくれた方とはかなり話し合いました。そのなかで「なぜ精神障害者共同作業所にこだわるのか?」と問われたとき、「『におい』があるから。」と答えていました。

 この「におい」。曖昧な言葉です。でもこれは私が精神保健福祉の分野に関わってからの経験で培われたものだと思います。さまざまなかかわりから学んだこと、といえるかもしれません。
(私のいう「におい」とは、いろいろ考えましたが結局は安心感だろうという結論に達しています。今考えると病院の中の自分に無理があったような気がしてきます)

おわりに

 以上、「ぱれった・けやき」の始まりの想いを書いてみました。

 「ぱれった・けやき」は当初家族会運営でした。しかしこの共同作業所は、会としての盛り上がりの結果としてできたものではなく、補助金につられて家族会運営という形にしただけ。実質的には病院のスタッフである私が事務局として仕切ってきたわけです。ともすると、個人の思いこみが反映されかねない状況であることも事実でした。さらに私はあくまでも現場の外からあれこれ口を出すだけなので、スタッフに対しては申し訳ない気持ちもかなりありました。

 しかし「ぱれった・けやき」には不思議な魅力があります。私の場合もそうですが、ここで「におい」という安心感を得られると、その後の活動が広がっていきます(だいぶ思いこみですが)。

 その後社会福祉法人化し運営が「社会福祉法人ゆうゆう舎」となり、施設も「精神障害者小規模通所授産施設」へと変化していきました。現在は障害者総合支援法の障害福祉サービス事業所となっています。現在もいくつかの要素ごとに事業所を設置しています(働く色、ゆったりする色などなど)。でも考え方は。障害があってもなくても「安心感が得られてから行動できるようになる」ということだと思っています。

 しかし、先に書いた「なんでもあり」は理想であり、現場の中でそれを実践することは並大抵ではないようです。私は理想にこだわりますが、現場においてはその理想と現実の中で、いいあんばいに折り合いをつけていってほしいと思います。もちろんゆったりした流れを大切にすることも忘れずに、これからもいろんなことを考えて、関わる人々がゆうゆう舎の中で好きな色を出せるようになっていけばいいなと思っています。

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